『その門はシールでデコって良し』
- annie

- 5月6日
- 読了時間: 4分

ya! annieです。曜日感覚が吹き飛んで順番も吹き飛ばしてしまいました。sorry。なんという体たらくでしょう。体裁を保つべく’t’の字を携えてきたので、今回はstoryのお話にしようかと思います。
じつはannieも物語を書く人です。平成.EXEの八木ちゃんと同門で、学生時代はともに切磋琢磨というか一方的な対抗心を燃やしていました。彼女の書く物語、楽しんでいただけている方も多いかと思います。月日がたち技量も感性も円熟してきた近年の彼女のお話は、苦みやほの暗さをたたえつつも前進する人間賛歌的要素を含んでいる感じがしますね。全く個人的な所感ですが。
さあ対するannie。こんな話ばかり書いています。
ちょっと変な話が好きです。長さも短め。短編とか掌編が多いです。扱うテーマは、寂しさとか後悔とか。けっこう後ろ向きなものばかり。そのネガティブな感覚をいろんな要素で誤魔化し希釈し、ネガティブさを残したまま終わる。そんな感じの話を学生の時から書き続けています。この辺が個人的な矜持というか、やりたいことでもある。ぼくは寂しさを寂しさのままにしてくれるお話に救いを感じるのです。ぼくにとって小説とは、いつか自分で歩けるようになるための杖でした。支えは燃料や車輪にはなりません。ぼくもそんな起爆剤を求めてはいません。そんな内面がにじみ出ているんでしょうね。泣いている子が泣き止む話ではなく、流した涙がしゃべりだしてもっと泣けよって言ってくるみたいな話を書きがち。
で、本題というか、書き方の話。みんなどうやって物語を書いているのか。そもそも書くって何? みたいなところ。
よく創作論の技法書とかでは、起承転結に当てはめて~やらキャラクターの内面を決めて~とか言われていますね。最近だと三幕構成でしょうか。序破急とも言われたりする。読みやすい展開や魅力的なキャラクター造形のやり方なんかは、軽く調べればポロポロ出てきます。たしかにそれも物語の書き方、というか骨組みのつくりかたでしょう。でもそれ以前に、物語がやるべきことっていうのが存在します。
それは描写。そこになにがあるか。
これと創作論を組み合わせると小説になります。で、描写ってほんとに伝わればなんでもいい。なんでもいいからこの辺の説明とかってよくすっ飛ばされている印象があります。でもね、ここが小説っていうものを書くうえでの面白さであり、書くという行為の入り口なんじゃないかなあって。
その最初の面白さを味わう、うってつけの遊びがあります。
どういうことかっていうと。
まず林檎一個を思い浮かべてください。で、
「皿の上にリンゴがある」
これを読んで、あー皿の上に林檎あるんだってなりますよね。これが描写。シンプル描写。ここにいろいろ味付けしていく遊び。
「白い皿の上に、真っ赤なリンゴが一つある」
色が生まれました。キレイだね。林檎も一個だけだということが分かりました。
「リンゴが一つある。真っ白な皿の上に置かれたそれは、赤い血潮のような鮮烈な輝きがあった」
二文にして後ろに説明をくっつけたら林檎が強調されました。真っ赤だなぁってなりました。
「果実がそこにあった。赤黒いそれは食べられることを望み、瑞々しい照りを湛えながら鎮座していた。一口かじれば滴がこぼれるだろう。渇きは癒えるだろう。皮は渇望したその目をうつした。喉を鳴らしたこちらを見て、さあ手に取れと言わんばかりにころんと、頭を差し出した」
趣味で盛るとこんな感じ。禁断の果実感、擬人化した動的描写、視点主の登場で背景がいろいろ想像できたり、あらゆる要素が登場。代わりに林檎と視点主のやり取りに終始しました。そうなると画面は皿の上に乗った林檎から広がり、皿の上の林檎がある空間を描写することになります。
ただこれだけで小説になります。シンプルな画面に、好きに味付けしていくのです。好き放題に要素を持ってください。実際に読み物にするときはその辺の濃度を精査して描写を削ったりしますが、まずは盛る。そうやってあなた好みの味を見つけていきましょう。
annieはこれだけでお話を作っているわけではありませんが、描写を盛る感覚はだいたい一緒。なによりお話を書く前の準備運動とかにもぴったりだと思います。
この例のほかに、適当な画像とか風景とかでやってもいい。移動中とかは頭の中でできるし、スマホのメモとかに残すこともできる。簡単なエクササイズです。物語を書きたいけど書き方が分からないって方、各種頭の体操を収集している方、おすすめです。
どうでしょう。ためになるかは不明ですが、執筆の入り口みたいなものの紹介でした。
創作って自由の世界です。現実的か、倫理がモラルが、そんなしがらみは捨て去って、好きなシールを張ってデコっていきましょう。まずは自分のためにね。
bye!





