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春の花と表彰台

人に関わることは、どこまで影響するんだろう

みなさん、こんにちわ!とうまつです。 (担当曜日すっ飛ばしての投稿になってしまいましたがお許しください・・!)


vol.5.5番外公演『聖人』から一週間が経ちました。

ご来場いただいたみなさま、応援してくださったみなさま、本当にありがとうございました。

普段の公演とは少し違う「偲ぶ会」という形式で上演したこともあってか、公演が終わったあとはどこか清々しい気持ちで日常生活に戻っています。


私も公演の振り返りを書こうかなと思ったのですがいちスタッフの自分よりも、八木さんのnoteや、蔵谷くんや歩夢くんのコラムがとても素晴らしくて読後感もすごくよかったので。今回は振り返りではなく、公演が終わってから自分の中でずっと引っかかっていることを、少し書いてみようと思います。お付き合いいただけたらうれしいです。



最近、よく考えてしまうのは、「人に関わることは、どこまで影響してしまうのか」ということ。


演劇や撮影の現場、日々働く会社。どこかに所属して、役割や立場が生まれる環境にいると、人の振る舞いや考え方、生き方や人生の軸みたいなものが少しずつ変わっていくことがあるなと感じます。それが良い方向に働くこともあれば、反対にその人のもつ本来のポテンシャルや可能性を知らないうちに狭めてしまうこともあるのかもしれない。そう思うと、自分が誰かに声をかけることや、一緒に何かをやることが、その人の将来にどこまで影響してしまうのか。考え始めると止まらなくなることがあります。


変化が良い方向に働かなかったとき、相手が変わってしまうことがこわい。こわいというより、ちょっとかなしいのかも。良くも悪くも、その人の人生の選択に少しでも影響を与えてしまうこと自体が、どこかその人の生き方を采配してしまっているように感じることもあります。だからこそ、その人にとってのチャンスを奪うようなことはできるだけしたくないし、何がどう繋がっていくか分からないからこそ関わり方はなるべく丁寧にしたいなと思っています。


でも、「じゃあ関わらない方がいいのか」と言われると、それも違う気がしています。

関わらないことで守れるものもあるかもしれないけど、関わらなかったことで失われるものもきっとある。だからこそ「あのときの選択ってどうだったんだろう」とすぐには答えが出せないことばかりが頭に残り続けています。もしかしたら、別の方法があってもっと違う形でチャンスがあったかもしれない。そういう可能性を自分の関わりが少しでも変えてしまっていることがあるんじゃないかと考えることもあります。それでもずっと考えていると結局同じところに戻ってきてしまいます。


人は、誰かに関わらずに生きていくことはできない。

関われば影響を与えるし、関わらなかったとしても、それもまたひとつの影響になる。だから、「影響を与えないようにする」ということ自体がたぶん無理なことで。自分にできるのは、「どう関わるか」を選び続けることだけなのかも。最終的な選択はその人自身のものだと思います。どの道を選ぶのか、その先でどう生きるのかはその人にしか決められない。だからその先の人生に対して責任を持つことはできない。


でも関わる時間に対しては責任を持ちたいなと思っています。せめて私が用意できる環境ではその人がちゃんと集中できる場所でいられるように。くだらないことで振り回されたり、自分のやりたいことを見失ってしまうことがないように。平成.EXEのつくる環境では、そこだけはちゃんと守れるようにしたいなと思っています。


『聖人』に出てくる篠原も、きっと似たようなことを考えていたんじゃないかなと思います。

自分の手で救えた人もいれば、救えなかった人もいる。そのどちらも抱えながらそれでも人に関わり続ける。

人の人生に関わることに、完全な正しさなんてきっとない。それでも関わることをやめないのは、そこに何か意味があると信じているからなんじゃないかと思います。


私もまだ答えは出ていません。でもこれからも誰かに関わることを諦めずにその中で自分はどうあるべきかを考え続けていきたいなと思っています。読んでいただきありがとうございましたっ。

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